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登天ポールの「自殺反対、いじめ撲滅」キャンペーン全国行脚 

POSTED DATE : 2010年7月23日

徳島からの来客

全国行脚の時にお世話になり、最近もインド帰りの一ヶ月お世話になった徳島県にある進学塾「ユアーズ進学塾」。の先生夫妻が能登に旅行に来た。
失礼だけど、二人とも60は過ぎているというのに、とにかく若く、エネルギッシュでビックリ目玉ディパーチャーさせられる。
「お休みができたら能登に遊びに行きますからね」
と言ってからわずか二ヶ月。
フットワークの軽さに頭が下がる思いだ。
能登での旅プランは
一日目は能登島水族館を見て、祖母の家、奥能登で一泊。
二日目は能登を一周して、能登半島で一番の知名度を誇る和倉温泉で一泊。
翌日の朝、和倉温泉駅から帰るという二泊三日の旅。
「旅というのは裏切られることの方が多いものですが、能登の旅は予想以上で大満足しております。おそらく一生忘れることはないでしょう。本当にありがとうございました」
最後の和倉温泉の夜、食事の前に挨拶をしたお父様の言葉。
グッと込み上げる熱いものがあった。
今にも箸をつけたくなるような料理を目の前にして、一言いいですかと、間をおき、
しっかりと感謝を述べ始めるお父様がかっこよかったんだ。
こんな男になりたいと思った。
今度はいつ会えるんだろうか。
デジカメの写真たちを整理しながら、思いを馳せる。
そうだ。
旅の感動を真空パックにしたこのフォトグラフに、ひとつ手紙を添えて送ろう。
「能登の青春」という名の甘い香りを乗せて…♪

POSTED DATE : 2010年7月16日

マウンテンウォーター

近所に山から流れ下りてきたマウンテンウォーターがあり、いつも何気なくドリンクしていたが、そのウォーターはなにやら石川県で6番目かに指定されているピュアウォーターらしいことが最近になって判明した。おばあちゃんいわく、
「あれは昔から神様からの水やわいね!!」
とやけに自慢がかった顔で言い放つと、
「これなんやがいね?」
といきなりたたみに転がっている僕のカップラーメンを指差し、興味はお湯を入れたら3分で出来上がる魔法のラーメンへ移行した。
「おいしいで、おばあちゃん食べる?」
と内心ぶっきらぼうに言うと、
「フフフフ~」
とまんざらでもない顔にチェンジ。
食べたかったんかな!と言おうとしたが、あえてそれを確かめたところでどうなんだと思って止めた。
最近ようやくおばあちゃんの性格がわかり始めた。
年は87歳。
戦争を経験して、米粒ひとつ残してただけで雷が鳴る。
電話にでるとめっちゃかわいい声になる。
畑仕事へいくのにも柄のシャツを着たりして意外とオシャレ好き。
美空ひばりをリスペクト。
食は畑で育てたきゅうり、なすび、たまねぎ、じゃがいも、トマトを主とし、質素でインスタントラーメンでもトキメく。
お金があったらおいしいものを食べさせてあげれるのにと、急に自分の経済力のなさが歯がゆくなった。
外に出ると黒い羽のトンボみたいのが飛んでいる。
雨上がりの空はようやく太陽を輝かせそうだ。
マウンテンウォーターでも飲みにいくか…
僕はカゴにくわの入ったやけにサドルが低い自転車に乗り込み、勢いよくペダルを漕ぎ出した。

POSTED DATE : 2010年7月13日

ツバメが生まれ、ついに一羽が旅立った

能登に来た時、灰色の土の塊が倉庫の天井の角にあって「あれ?ツバメの巣」とビックリサプライズした。と思ったら、いつしか五羽のヒナが生まれ、ピーピーと口をあけて鳴くようになり、親ツバメは何度も往復して餌を運ぶようになった。五羽のヒナが一斉に口を開けるシーンがかわい過ぎて、また見たくなり、近くに行き、親ツバメのようにチュンリュンと鳴いてみせた。
シーーーン
完全ノーリアクションである。
するとまた親ツバメが飛んできて、五羽は一斉にピーピーと鳴き口を空け、一羽に餌をやった。と思うと一瞬のうちに飛び去っていく。その瞬間、ナイスタイミングで僕はチュンチュンと鳴いてみせた。
シーーーーン
腹立つな~ 食べたろか!
そんなおいしい、いや、かわいい五羽だったのに今朝見ると、四羽になっている。
おばあちゃんに聞いたら、
「一羽ファーラウェイやわいね!!」
と英語は使ってなかったが、ガラスにぶち当たりながらも無事飛び立ったと言った。
ついに大空デビューか…
頑張れよ…
なんだかうれしいような、寂しいような。。

POSTED DATE : 2010年7月11日

いじめ撲滅本日記②

能登での牧歌的な毎日、祖母の家に居候と言う形で甘え、2007年の全国行脚いじめ撲滅・自殺反対キャンペーン「君に生きてほしい」の本を書かせてもらっている。
初めに「本はいつになったら発売なんですか?」と最近よく言われる質問に答えたい。
未定です。
本当に申し訳ない。
「何をやっているんだ」と毎日働いている人たちから見ればなんとも歯がゆい気持ちでいることだろう。

今ままで書いている原案で7冊目になるが、どれもあの感情、感動の映像と文章とが一致しない。要はへたくそなんだ。
ある夜中、僕は真っ白な山の前にたどり着く。
その山の周りには黄色のテープが張ってあり、「これ以上危険!語彙力ゼロ地域、近づくな」と書いてある。
僕は迷わずテープをちぎり登った。
登っても登っても景色は変わらない。
どんだけ登っても真っ白だった。
ホラー映画のような去年だった。
しかし今年、もう一度その山を登りだした。
たった一年でなにが見える…
角川からお話をいただいてすでに2年が経つ。
生活もニート、引きこもりと全く変わりないスタイルになり、
時には本に向き合うことすら億劫になり、憂鬱にもなるけど、
今の若者を回復させる命の木の実のような、世界樹の葉のような言葉を見つけたいんだ。
楽しみにしている皆さんへ、その想いは是非とも作品で返したいと思う。
楽しみに待っていて下さいね。
宜しくマウンテン♪

POSTED DATE : 2010年7月7日

ご苦労さんの声

暑さ増し増してきたね。変わらず元気マウンテンかな?
夕方、近所の集落の田んぼ周りを30分ほど走っていると、いつも決まったおばあちゃんと出会う。大きな犬を散歩しているおばあちゃん、農作物の手入れをしているおばあちゃん、草を刈っているおばあちゃん、牛乳ビンを回収して回っているおじいちゃん。こんにちわ~と挨拶するとみんな
「ご苦労さん」
と言ってくれる。いや~苦労だなんて、ただ僕は肥満防止しに、気分チェンジに走っているだけで、いや~みんなの方が田畑耕したりしてご苦労さんではないか~と思いつつ、でもなんだかうれしくなってしまう。
なんてったって石川弁というのか能登弁というのか、そのなまったご苦労さんがまた走っている体にとても心地よいんだ。最近は遠くからでも手を振ると手を振り返してくれるようになった。
嗚呼~ 田舎暮らしラブ~
どこかへ行くわけでもなく、何を買うわけでもなく、ただいつもと変わらない森があり、川があり、鳥がいて、かえるが鳴いて、そこに太陽が沈んでいく。なんてことない一日。その終わりに、長髪の兄ちゃんが走ってくると思わず「ご苦労さん」という言葉になってしまうのだろうと思った。でも影で『長髪のヒッピーみたいのが最近出没しているから夕方要注意!キモス!』と回覧板に書かれていなければいいのだが…

POSTED DATE : 2010年7月3日

クールダウンの大切さ~さよなら王者ブラジル~

サッカーWカップ。ベスト8の準準決勝。ブラジル対オランダ戦。
前半は1-0でブラジルがリードだった。
後半流れが変わる。
予期せぬオウンゴールで同点にされ、波に乗ったオランダに逆転。
焦った王者はレッドガードを食らい勝負あり。
衝撃的な展開にびっくりサプライズ。
こんな王者でもミスを犯すと一気に精神面が崩れるんだなと改めてWカップの恐ろしさを知った一戦だった。
焦って冷静さを失いボロが出る
僕も何度も経験した。
一番さぶかったのは28才の単独ライブ。
いきなり一発目のアクトでネタがぶっ飛んでしまい、ゴマかそうとして言葉をつなげた。しかし何をいってるか分けわからんコスモ状態になり、銀河の彼方で爆発した。後でその映像を見たら、すごい精神状態の顔をしていてスナイデルみたいに血管が浮き出ていた。それを見ていた僕はもう一度冷静さを失い銀紙のままガムをかみ締めてしまう始末。奥歯で噛み締め、ピキーンと金属反応みたいな現象まで呼び寄せてしまった。僕の例は自分の責任で終わってしまう話だが、団体競技のスポーツや学校ライフ、仕事場などチームワークを要する場面だと致命的になる。ボス的存在の人間が冷静さを失うと誰も注意できなくなってあらら~って全体がよからぬ方向へと発展していっく。いっくと変な変換になってしまったので一句しよう。
 怒っても 心の中で クールダウン
あなたは自分の気持ちをコントロールできているかな?

POSTED DATE : 2010年6月29日

キーマインド

サッカーワールドカップ南アフリカ大会で日本代表が快進撃を続けている中、いじめ問題は第三次のピークを迎えつつある。今月9日には川崎で中3の男子が「友達へのいじめを止められなかった」と遺書を残しこの世を去った。正義感の持ち主がなんでこんな悲劇の結末になってしまったのかと思うと胸が痛い。また悲しいのが、母親は息子のいじめの現状を知っていて、今年4月に学校サイドに報告したにもかかわらず、最悪の結末となってしまった。
 残された母は今どんな精神状態でいるのだろうか?
僕の興味は彼女へと向かう。
皆さんはいじめられて死んでしまった母の気持ちって分かりますか?
あなたが今子供を育てる親ならば痛いほど分かりますか?
あなたが今学生ならばこの母の悲しみをどれほど理解できますか?
息子がいなくなった一週間は、心身ともにどんな世界が待っていたのか…
二週間目は、涙も枯れ果て、さらに本当の悲しみが始まったのか…
三週間目の今、心にある感情は一体何なのか…
残念ながら僕たちはどれもこれも、想像を絶する想いとしか言いようがなく
彼女の本当の気持ちを何一つ知っていないのです。
何が言いたいか。
逆に残された者の悲しみを、怒りを、苦しみを、虚しさを、その心情のすべてを、もっと詳しく知ることができれば、世の中にいじめという悪魔の恐ろしさをより認識することができるのではないか?
広く、深い、その壮絶な母の涙をリアルに知ることによって、命を落とそうとする若者は、一歩踏みとどまることができるのではないか?
彼女の今の傷心データこそが今後のいじめ撲滅、自殺反対へのキーマインドとなると僕は考える。
思い出したくない、話したくない、と言われるかもしれないが
少し落着いたら僕は彼女に会いに行こうと思う。

POSTED DATE : 2010年6月21日

苗と僕の物語

田んぼの苗が少しずつ成長している。
側の細いあぜ道をゆっくり走りながら、負けへんでとつぶやく。
今僕のライバルは目の前に広がる数千本の苗だ。
風にゆらりゆらりと揺れながら、余裕でこっちを見ている。
彼らにとってこの梅雨は恵みの季節だ。
僕にとってこの梅雨は髪の毛がクリンクリンになる季節だ。
ここはかなりアドバンテージ苗になる。
しかし夏が来たらサンシャインランラン飛びで逆転グローアップしてやる。
勝負は秋。オータム(英)。フォール(米)。
 どらちが大きな実をつけているか
楽しみだ。
また雨が降っていた。
僕は走るペースを上げた。

POSTED DATE : 2010年6月17日

サッカーWカップ2010開幕

4年に1度のサッカー祭り、南アフリカWカップがいよいよ開幕した。
夕食を食べながらおばあちゃんと一緒に見ている。
あの白いネットの中に入れると一点なのよと説明するがなんのこっちゃわかっていない。
それよりもレタスを食べている。この人はうさぎかと思った。
おばあちゃんが唯一興味を示したのはゴールキーパーの服の色。
一番派手だといって笑っている。
しかし2010年のWカップをまさかおばあちゃんと一緒に見ているとはなんだか不思議な感覚だ。
サッカー好きにはたまらないこの1ヶ月。人それぞれ楽しみポイントは違うと思うが、僕の見所はいつも決まっている。
 弱者が強者に勝つシーン
とくに好きなチームなんてない。
ただ勝てないと言われていたチームが必死に走り回って奇跡を起こす。
これ以上興奮することはない。さっそく初戦を振り返ってみると
韓国×ギリシャ   韓国キムチ~最高!!
スイス×スペイン  スイス銀行~入金!!
そして
日本×カメルーン  日本子供手当て~開始!!
と見どころマウンテンな初戦だった。
だけど一番注目していた
北朝鮮×ブラジル
残念ながら2対1で北朝鮮は負けてしまった。
前半0点で守り、ラストは一点をもぎ取るなど、終始素晴らしい情熱で感動した。
常識を破ってほしい
奇跡を起こしてほしい
夢を叶えてほしい
南アフリカの地であとどれだけのミラクルを見ることができるだろうか。
そのミラクル一番星が日本であることを願ってる。

POSTED DATE : 2010年6月8日

「相田みつを」という人間

さわやかな初夏の季節、皆さんいかがお過ごしてしょうか?
能登の夜はまだ寒く、石油ストーブを炊きながらコラムを書いている。
よく考えると僕はこの「昼暖かいbut夜寒い」という気候を今年に入ってずっと過ごしていることに気がついた。暑いと思っていたインド(コルカタ)も夜寒く、暖かいと思って戻ってきた日本も、例年よりも寒い日が続き、そしてようやく暖かくなった5月に北陸へ移動。ほんとお見事というくらいにこの6ヶ月間は全く変わらない服装で、そろそろ見たくないのよこのジャンバーみたいな気分にもなっていて、今誰よりも夏を待ちきれない男の子です。
今回は金沢で詩人「相田みつを」の息子、相田一人さんの講演を聞きに行ってきたのでそのことを書いてみる。
『一生勉強、一生青春 相田一人 父「相田みつを」を語る』
いったい相田みつをってどんな人物なんだろうか。
僕は席に着き、ワクワクしながら目の前にあるパンフレットに目を通した。
いきなりショックだった。
あの柔らかな字体で分かりやすいメッセージを書いている「相田みつを」という人物が、かなりのおじさんでだったこと。そしてもう他界してしまっていたということ。同時にここまでの完璧なる自分の無知に一番ショックを受けて、合計トリプルショックを抱えたまま息子の相田一人(あいだかずひと)さんの話が始まった。
「父は30歳のとき、初めての古典をふるさとの足利で開きました。
そこで作品を売って収入を得るのが唯一の収入源でしたが全く売れませんでした。
60歳になって初めて今までの作品を本にまとめ、全国の書店に並びました。
ようやく世間に知られる兆しが出てきた67歳に脳内出血で突然亡くなりました」
涙が出ていた。
ひとつの作品に何度も何度も失敗し、何枚も書き直し、やり直していたことや兄が二人いて、二人とも戦死したこと。また働いていた職場で兄の教えどおりに正義を貫き、内部告発したらリンチにあい、片方の耳が聞こえなくなったことなど、彼の人生を知れば知るほど涙の連続だった。
 雨の日は雨の中を 風の日は風の中を
一人さんは言う。
「この言葉は決して後ろ向きな言葉ではありません。
雨の日は胸を張って雨のど真ん中を歩き、風の日は風のど真ん中を歩いていく、
まさに父の生き方そのものでありました」
1時間半の講演は拍手喝采で幕を閉じた。
会場を出た後も強い余韻が残った。
僕が「相田みつを」と出逢ったのはいつだっただろう。
確か大学を卒業し東京に出てきた22歳のときだ。
初めて入った原宿の雑貨屋の店にあのやわらかい文字が飾ってあった。
とてもやさしく、なつかしい感じがして、言葉のひとつひとつが体に染み込んでいくように癒された。
今思うとあの言葉も、字体も、戦争という時代背景の中で経験した、たくさんの悲しみと苦労と失敗の中で、ようやくできあがったひとつだった。
僕は購入した本を一枚一枚めくり、一つ一つの作品に感動しながら
原宿の雑貨屋さんに飾ってあったあのことばを探した。
そして見つけた。
12年ぶりに出会うあの日あの時の、このことば。
どんな未来がやってきても、人類はこの言葉に勇気づけられていくでしょう。
 つまづいたっていいじゃないか 人間だもの
NEXT IS…「ガンバレ日本~サッカーWカップ開幕~」